sugao2004-11-14

いろいろな場面でMais ou Menos(マイズ オウ メノス)という言葉を聞く。日本語で言う“まあまあ”。Jogo de cintura(ジョゴ デ シントゥーラ)という表現もある。これは“腰の動き”といった意味で“柔軟性”を表す。ブラジルのサッカー選手、サンバやパゴッヂで踊るブラジル人のダイナミックで予期出来ないあの動きを想像していただければそれが並大抵の物でないことはわかる。
きちっと予定したように物事がいかないことが多いブラジルでは“いい加減”を知ることや“柔軟性”が必要とされる。日本は何でもきちっとしていて・・・日本を知る日系人の言う常である。
ブラジルはとても若い国である。西暦2000年に建国500年を迎えたばかり、今年2004年にはサンパウロ市が450年を山口県萩市は400年を迎えた。若さといろんな可能性を感じさせるが、逆に言えばまだまだやらなくてはいけないことが存分にあるということか。貧しいということもまた別の一つの要因かもしれない。向上していく必要性を感じさせる。
日本は違う。伝統と組織的に出来上がってはいるが空虚さを感じさせる社会のなかで感じていたものは“壊さなくてはいけない”という何ともいえない衝動であった。
このいい加減さや柔軟性は今の日本においてもっと考えられていいと思う、いやこういうことは考えることではないのだ。身体が動いてなんぼだから・・